GPSS誕生ストーリー
サステナブルなエネルギーでサステナブルな社会を目指す。私たちGPSSの活動は、利益を生む手段ではなく、1万年後を見据えた未来への方法論です。創業者の目﨑は、メリルリンチ証券に勤めた後、10年に及ぶ世界放浪の旅の中で「幸せとは何か?」「人々が充実感を覚えて生きるために必要なことは何か」を追求し続けました。
原体験は10代。留学先のヨーロッパで出会った同世代の生き方に、目﨑は衝撃を受けました。同調圧力の強い日本とは真逆の、個人を尊重する文化。そこで育った彼・彼女たちは自分の意見を持ち、情熱的に人生を楽しんでいる。日本の社会は人を幸福にするのか? 後の活動を決定づける、強烈な疑問が生まれた瞬間でした。
大学を卒業した目﨑は、将来の起業を見据え、外資系大手投資銀行のメリルリンチ証券に入社。しかし、ビジネスの最先端で感じたのは資本主義への疑問でした。金融界に蔓延する拝金主義。ビジネスやマーケティングの名のもとに人は大切な何かを見失っているのでは?モラル的な葛藤から5年間務めたメリルリンチを退社します。
目﨑は、人生の指標を求め旅に出ます。インドでの修行、南米やアフリカの放浪……世界を巡り見つけたのは、あらゆる社会は個人の幸福追求のためにある、という共通の原則。そして、人を幸せに導く社会体制があればその逆もあるという事実。個人が幸せを追求できる社会。日本をそんな社会に導くことが一生の仕事と決意し、帰国します。約10年、100カ国以上に及ぶ旅の終わりでした。
国際文化アナリストとして活動していた目﨑が、出会いに導かれ辿りついた「地球に負担をかけないエネルギーで起業する」というアイデア。会社を舞台に個性あふれる個人が活躍できる場を実現する。目指すのは日本のエネルギー問題の解決。個人と社会両方の幸福を同時に追求できるビジネスの形でした。2012年、GPSSの前身となる、日本メガソーラー整備事業株式会社が誕生します。
はじまりの地は北海道。吹雪の中、数人の友人と作りあげたDIYのソーラー発電所でした。しだいに仲間も増え、会社は順調に業績を伸ばしていきます。しかし、当時のメイン事業は発電所の開発と建設の請負。作った発電所を売って利益を出していても、構造は既存のビジネスと同じです。目﨑は会社の成長とは裏腹に、このままでは、再び金融界で感じたジレンマに陥るのでは?との葛藤を感じていました。
転機は、かつて自分を見失いかけた金融にありました。創業2年目、偶然の再会をきっかけにメリルリンチ時代の後輩である倉田(現・グループ共同代表)が入社。「金融のテクノロジーを生かせば、もっと多くの発電所を所有できる」との倉田のアイデアにより、下請けから自社による発電所所有へと転換。さらには地熱、風力、水力、バイオガスと新たな発電事業へ参入します。現在は開発するほぼ全ての発電所を自分たちで所有しています。(共同所有を含む)
ほとんどの商業行為では、私たちは常に利益相反に直面していると言えます。自分の利益を拡大することは、相手の利益を棄損するからです。だからこそGPSSは、利益相反を極力避けるビジネスを追及し、サステナブルな社会を目指しています。その根幹をなしているのが、地域との共同事業です。
GPSSは、最新のテクノロジーと幅広い専門知識を活用し、まだ手付かずの地域に眠っている自然資源をエネルギーに変えることで、地域の方々が自立的に生き続ける礎を築きます。そして地域とともに、共同で発電所を運営します。地域のステークホルダー達と発電所を共同所有することで、地域の利益、GPSSの利益、そして社会の利益のすべてを、同じ方向にできるのです。
会社内もサステナブルであることにこだわっています。会社は社会の最小単位。仕事で充実感や幸せを感じられなければ、幸せな社会なんて実現できるはずがない。エネルギー事業を通して持続可能で幸福な社会を目指すには、幸福な働き方の追求が必要です。「こうあるべき」ではなく「こうありたい」を、「規律より自由に価値を置く文化」を発信したい。唯一のルールは、自分を定義する最小単位である「魂」の解放。誰もが個人の内面に向きあい、自分を深く知ることができるよう、様々な形で社員同士が対話をする機会を設けています。自分の内面性を追求すればするほど、最終的には世界の普遍性へと繋がるのだと、目﨑は考えています。結果として、それぞれが自身の欲求を働くエネルギーに変え、情熱を燃やすことが社会への貢献になるのだ、と。
理想の未来の実現のため、GPSSは今も長い旅の途中です。
地球は燃やさない。魂、燃やせ。
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